創業明治二十六年

 

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鮭は新潟にあり 鮭は小川屋にあり

「鮭を嫌いな人かいないのは何故」
「鮭と新潟人とは、12000年前からのおつきあい」

お客様 「小川屋さん、私おたくの鮭が大好きよ」。
私       「ありがとうございます」。
お客様 「私の友達で鮭が嫌いな人がいないの。不思議に思うの。何故かしら」。
私       「・・・・調べてみます」。
こんなやりとがあって、「何故鮭が嫌いな人がいないのか」を、調べ始めました。

一つのヒントが地質学研究グループの会報にありました。
新潟の地質学研究グループ「大地の会」の会報によると、新潟と鮭鱒とは、12000年前の縄文時代からのお付き合いがあ るそうです。信濃川と清津川周辺には、縄文時代創生期の遺蹟が密集して存在しているそうですが、不思議な事に何度も洪水に見舞われながら、また同じ場所に住居をかまえているそうです。これは、川に遡上する鮭・鱒を食糧としていた以外には理由がないと、述べています。
http://daichinokai.sakura.ne.jp/oitatchi/38/oitatchi38_3.html

「鮭が帰ってきた。ありがとう」。「今年の鱒は美味しいね」と、12000年も繰り返し思っていたら、きっとDNAに「鮭鱒大好き」の情報が書き込まれたことでしょう。お客さまに、この話をご連絡いたしましたら、喜んでおられました。



「平安時代になると、新潟から朝廷に鮭が贈られていました」

平安時代になると、当時の税金「租・庸・調」を記した「延喜式」の中に越後の国からは、鮭・鮭の子・氷頭・背腸を納めよという記述があります。 越後の鮭の評判が都にまで届いたいようです。きつく塩をほどこすか、干物にして都へ運んだのでしょう。当時の鮭料理はどんなものがあったのでしょう。

また、身色の赤い鱒は「腹赤」と称し、正義と忠誠のシンボルとされました。 現在は「腹黒」だけが残っており残念です。「腹赤」普及委員会でも設置しなければなりません。



「江戸時代と新潟の鮭」

江戸時代には、村上藩で鮭の人口孵化が行われ藩の財政に寄与しました。幕末になると、魚沼の縮仲買商、鈴木牧之が雪国の生活や自然を著した「北越雪譜」が江戸でベストセラーとなりました。鮭漁の様子や鮭の詳細なイラストも掲載されていますので、江戸の人々は びっくりしたと思います。













「明治になっても鮭漁の中心基地は新潟」

明治になり、日本の鮭鱒遠洋漁業の基地は北海道ではなく新潟でした。毎年1千万尾もの鮭が新潟の港に水揚げされたそうです。新潟は昔から鮭・鱒の町でした。食卓には必ず鮭・鱈子・筋子が並んだものでございます。また新潟では、お酒や味噌などの醸造業の発展していましたので、鮭・鱒の    粕漬や味噌漬などの加工品が新潟の代表的な名産として続いています。

 

「鮭は新潟に在り 鮭は小川屋にあり」
小川屋で扱う鮭鱒をご紹介いたします。

昔から新潟と鮭・鱒は深い関係がございましたので、現在でも世界の鮭・鱒が新潟に集まります。「鮭は新潟にあり」でございます。
その中でも、小川屋を自信をもってお勧めする鮭・鱒をご紹介いたします。「鮭は小川屋にあり」でございます。

 ・定置網・時不知鮭    北海道羅臼地方の定置網でとれます。日本で一番脂が強い鮭です。   

 ・目近鮭           秋田・山形の川に帰る鮭がオホーツク沿岸定置網にかかります。まだ青年期の鮭で、
                 筋子・白子が未熟で、身に旨味と香りがあります。

 ・塩引鮭                      新潟に伝わる鮭の製法です。強い塩をした後、塩出しをして寒風にさらし熟成させました。
                 枯れた味わいの鮭です。 

 ・紅ます(トラウト・サーモン)  ノルウェーで獲れます。脂も旨味もあり、どんな調味にもあいます。

 ・さくら鱒                      雪国に桜が咲く頃、日本海で獲れます。脂と独特の香りが特徴です。

                                                       

新潟 小川屋 
〒951-8063 新潟市中央区古町通5-611  お問い合わせ こちらから
TEL 0120-229-011  FAX 0120-206-831 AM 9:30〜PM 6:30  定休日 水曜日(中元・歳暮時は無休)