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ラヨーン通信(8) ラオス観光 18期・三宮中
7月14日(月)は、タイの休日で、その結果3連休になります。この連休を利用して日本から直接行けない国・ラオスを同僚と訪問しました。
今回の主な目的は:
1)タイ国鉄一等個室寝台に乗って国境の街ノンカイまで移動すること、
2)ノンカイからヴィエンチャンにいたる国境を陸路で越えること
3)世界遺産に指定されているラオスの古都ルアンパバンを訪れること
の三つです。
今回の旅は、バンコク ファランポーン駅から始まりました。同僚と一緒に、7月11日金曜17時、仕事が終わったらただちに車を仕立ててバンコクに向かいます。三連休になることもあり、バンコクへ向かう道は混んでいて、普通なら1時間半のところ、2時間半以上もかかりました。タイも相当な車社会であることが分かります。
20:45発ノンカイ行きの1等寝台車は、2人用個室で上下のベッド、タイ国内を北上してラオス国境に接する街ノンカイに向います。一等個室寝台の料金は1097バーツ(約3300円)、640kmほどとのことですから、JRの15分の1程度でしょうか。ディーゼル車で翌朝8:45にノンカイにつきます。早朝、タイでは最貧地域と言われるイサーンを通過します。農地が多いのですが、先入観のせいか、土地のやせた寂しげな土地柄に写ります。
ノンカイ駅前にはツクツク(荷台付きバイク)がたむろしており、客を求めて追いかけてきます。タイ側イミグレーションまで、ツクツクで約10分、距離が分からなかったので一人30バーツ、60バーツの払いましたが、タクシーの初乗りが35バーツということを考えれば、一人15バーツも払えば十分だったと反省されます。 まず、タイ側で出国手続きをします。 タイ人とおぼしき連中はパスポートのほかに書類を持っていたため、不安のまま列に並びました(なにしろ生まれて初めての経験なもので)が、我々外人(タイにとっての)は、パスポートとその中に止めてあるタイ入出国カードの半券以外は必要でなかったようで、特に問題なく出国できました(10バーツ支払い要)。 次は、ノンカイ・ビエンチャンを結ぶ友好橋を渡ります。歩いて渡る人もいます(そうすればよかった)が、我々は10バーツ支払ってバスに乗り、メコン川を渡りました。
するとヴィエンチャン側入国管理事務所前に到着します。ここでオンアライバルヴィザを取得します。入国書類を書き、ヴィザ費用31ドル(平日の勤務時間中の場合30ドル)を添えて窓口へ提出。隣の窓口からヴィザ取得済みのパスポートが渡されるのを待ちます。タイ人、フランス人が目立つほか、一人旅の女の子や新婚と思われるカップルの日本人もいます。パスポートを受け取ったら、別に入国税10バーツを支払いラオスに入国、意外にあっけない
国境越えです。
因みにノンカイでは、いくつもの旅行代理店があり、ツクツクの運転手に問われるままビザはないと告げると、そういった旅行代理店に連れて行かれビザを取るように勧められます。この場合代理店の手数料(とツクツク運転手への謝礼)が上乗せされ、45ドル程度要求されるとのことです。ヴィザはあると答えるのがノウハウです。
今回は、Lonely Planetに記載されている旅行会社の一つ DIETHELM TRAVELに、ラオス国内での観光すべてを依頼しました。 その内容は:2泊3日、ホテル(ビエンチャン一泊、ルアンパバン一泊、朝食つき)とビエンチャンからルアンパバンまで航空券、日本語ガイド(ラオス人)及び車付き(3日間)の豪華版で315ドル(一人当たり)です。なお、ラオスでは、カンボジアと同様ドルが強く、バーツだと交換比率が多少落ちるようです。 ラオスはかってフランスの植民地であり、従ってフランス料理店が何軒もあります。ヴィエンチャンでは、その中の一軒・Sticky Fingers(ネバネバする指、ラオスの主食もち米を持った指を意味しているらしい)で昼食、アンティパスト+野菜炒めと、ビール、ワインハーフボトルで一人10ドル、割安でおいしい食事が楽しめました。英語のメニューで英語でオーダー、注文に特別な困難はありません。 その後、凱旋門、タートルアンなど代表的な見所に案内されヴィエンチャン観光を楽しみました。首都とは思えない、静かな落ち着いた(のんびりした)街です。タイの北に位置するせいか、ラヨーンよりは過ごしやすいです。夜はお決まりのカラオケでしたが、日本語の歌はないため、ただ女性にはべってもらってラオス人の歌を聴く普通の飲み会となりました。金額は3時間・二人で30ドル。女性の接客代金は一人1.5ドルとのことです(Lonely Planetでは、別の店ですが、1ドルと書いてあったのですが。美人だったからしょうがないか?!)
翌日は、飛行機でルアンパバンに移動、世界遺産の観光です。プーシーの丘に登って、ルアンパバンを俯瞰した後、ワットシエントンなど、観光スポットを回ります。王宮博物館では、展示品の中に各国からの寄贈品があります。宗主国フランスからは、実に品の良い洋食器が寄贈されており、国としてのセンスのよさを感じます。
嬉しかったのは、日本からの寄贈品は壷や大皿ですが、深みのある色の大変美しい作品で、日本が単に工業製品ばかりでなく、上質の美術品も提供できる国だと見る者に感じさせる点です。因みにアメリカは、宇宙船の模型と、至って即物的です。
昼食はラオス名物のラオスうどん・細めのうどんをとろみのあるスープに入れた食事で、味はタイの類似の食品・例えばセンミーナムに較べると淡く、日本人の口にはタイ料理よりも好ましく感じられます。夜は、ホテルのそばにあるナイトバザールをひやかしました。中に一軒(というか一人)日本語の非常に上手い女の子(14歳とのこと)の店があります。日本が好きで、言葉も旅行者から少しづつ学んで行ったそうで、ここまで上達するものかと、心底驚きました。残念ながら買いたい者はその店になかったので、買わずじまいでしたが、楽しい一時でした。
ラオスは社会主義国ですが、経済面で自由主義を標榜しており、経済的発展を目論んでいるようですが、まだ始まったばかりといった印象です。このように、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマー(国民一人当りの総所得は、それぞれ$1,980, $280, $310, $430, ミャンマーは統計なし)と並べてみると、タイの経済的成功は一目瞭然です。さらに植民地になった経験がないこともあって、タイ人のプライドの高さは相当のものです。
そう考えると、日本の発展が奇跡的に思えてきます。日本の国民一人当りの総所得($33,550)は、タイの10倍以上、カンボジア・ラオスの100倍です。その発展を、第2次大戦後一度ご破算にした上で、約60年で達成したのですから、世界の大半が驚異的と思うも当然です。その影には、先人たちの血のにじむような苦労があったに違いありません。この、日本の発展の基礎を創り上げたのは、政治家でなく、役人でなく、銀行家でもない、ソニーやホンダといった、海外に市場を見出して、果敢に挑戦していった産業人達だということも記憶に値します。
我々が白新中2年の時(1962年頃)、アメリカでビーチボーイズが歌うリトルホンダという曲がヒットパレードナンバーワンになりました。友人に聞けば、バイクを作っているあの(日本の)本田だとのことで、日本製品がアメリカで愛用されているという事実(今ではごく当たり前の)に驚愕したのを良く覚えています。
カンボジア・ラオスが日本の百分の一といっても、それらの国民が飢えているわけではありません。自生する果物や畑の野菜を食べれば不都合なく、暮らしていけます。従って何故アクセク働く必要があるのかという質問も可能です。
ラオスという、観光スポットはあまりないけれども、温暖で、食事が美味しくて、時間がゆっくりと進む国の中で、国の発展の意味と日本について、少し考えてみました。
以上
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