第十八回、四川地震、オリンピック、マカオ

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深セン見たまま  第十八回  平成20年7月26日  15期 後藤 卓

<地震とオリンピック>
6月にまた中国に入りました。四川地震発生 約一ヵ月後です。職場は内陸ではなく沿岸部にあるため被害は無かったのですが、
工員さんたちは内陸からの出稼ぎが多く、四川省出身者も多いと聞いたので心配はしていました。しかし工場で聞いてみると四川省といっても全てが被害地域ではなく被害は山間部に限られる為、被害関係者はほとんどいない様だとのこと、とりあえずホッとしました。

多分これは沿岸部の豊かな都市ではあまり被害に関係なく、経済的にも遅れた山間部の人たちが被害にあったようです。また少数民族の方たちが多数被害を受けたとの話もあり、中国人口の94% が漢民族で残りが50以上の少数民族に分かれているとのデータがありますから、広大な中国が抱え込む内部のひずみを地震が直撃したとも言え心が痛みます。
 
現在7月ですがテレビ報道でも四川地震関連の報道と開催が迫っている北京オリンピックの報道は特別番組のような形で連日報道されています。特に両者を結びつけた形の報道が多い。各地で行われている聖火リレーの歓迎式の会場で「四川加油!中国加油!」などの大合唱、加油(ジャーヨー)は頑張れの意味ですから「四川ガンバレ!中国ガンバレ!」となります。今の中国は地震被害の克服とオリンピックの成功が二本柱の課題なのです。オリンピックは中国語で「奥林匹克运动会」アオリンピイクウ ユンドンホイ のように発音し 「奥运会」アオユンホイのように短縮します
 
東京オリンピックが開催されたのが1964年ですから私が白新を卒業した翌年です。日本の技術力もやっと新幹線を作り上げるまでになり私たち団塊の世代が社会に出て行く前夜だったわけで、私自身も社会に出ると同時に何の疑問も持たず製造現場に入り、
以来浮き沈みはありましたが一貫して製造関係の職場に在籍し、その延長線上で今中国に来ているわけです。

同窓会の資料によると15期は18クラス907名もいたわけで、ちなみに2008年卒業の60期は2クラス67名となっています。当時の応援歌に「聞け2000の勝どきを〜」とあり文字通り2000人超の声が球場を揺るがしていたのですが、今はどんな応援歌なのでしょうか。話がつい昔の思い出になってしまいました。
 
 <日帰り海外旅行>
今回はマカオの話をしたいと思います。マカオは中国語で澳門「オウメン」と発音します。歴史的にはずっとポルトガルが統治してきました。バスコダ・ガマなどの大航海時代からの歴史がありイギリスと香港の関係よりずっと古いのです。
 
中国南部に流れる大河「珠江」、長さこそ中国第4位だけれども流域面積や水量は長江に次ぐ2位の地位で、河口も大きな河口だけで8箇所あり東シナ海に注いでいる。この一帯「珠江デルタ地帯」は昔から交易が盛んだったそうで、それにに目を光らせていたのがポルトガル統治のマカオなのです。このような複雑な地形なので河口の部分は海なのか河なのか判然とせず、中国大陸に一部つながっている半島といくつかの島がマカオですと説明するしかありません。

歴史的にはイエスズ会の極東本部が置かれていて、種子島への鉄砲伝来、フランシスコ・ザビエル、豊臣秀吉とキリシタンなどは全てマカオが関わっています。近年ポルトガルもマカオを維持するのが大変だったらしく中国に返還を申し出たけれども実現せず、香港が
イギリスから2000年に返還されたとき一緒に返還となりました。

ただ香港同様「一国二制度」の為、出入国はイミグレーションを通過しなければなりません。だから中国人でもマカオに渡る資格が
無い人がいる反面、日本人は簡単に何回でも往復できます。私の中国滞在VISA は連続滞在1ヶ月なのですが、一度マカオに
行って戻ればまた1ヶ月延長になるわけで何回もマカオを往復しました。権利を悪用しているようで少し申し訳ない気がしますが。

マカオはカジノや自動車レースなども有名で同僚の中にはカジノに渡り一夜で10万円全部失ったとか言うアホ男もいますが、私は
関係ないというか、先立つものが無いのでそのような場所に踏み込むことはないでしょう。古いヨーロッパの街並みと中国広東の渾然
一体となった雰囲気が好きです。写真を紹介しますが、一回で撮影したわけではなく、季節も交じり合っていることはご容赦願い
ます。写真の順番は一応コース順に並べて見ました。
 
中国本土とマカオは3箇所の通路があり私が利用するのは2箇所です。最初は拱北口岸、ここは、珠海の繁華街拱北(ゴンベイ)にあり歩いてマカオに渡れますが、混雑すると2時間も並ぶ羽目になります。もう一つは少し離れた湾仔口岸、ここからはフェリーで
渡りますが時間は5分程度です。
 

拱北

マカオにはここ拱北口岸から歩いて入国できる。利用者数が多いので
巨大な施設です。Google Earthでもすぐわかる赤い屋根

 


ポスト

マカオに入って最初に目に付いたのがこれ。中国は緑色の貧弱な
ポストだがこれは立派、切手の自動販売機も兼ねている。
 


街並み

居住区はアパートがギッシリ並んで壮観、しかし間の道路は
中国より広い。スクーターが多いのもマカオの特徴。
 


演奏

三角公園のアマチュア演奏家達。物語のような詞に節を付けて唄い
伴奏が付く。古来の楽器にサックスが混じっているのが面白い。
 


案内

観光地区の案内板。中国語、ポルトガル語、英語の表示。

 


広場

ポルトガル統治時代の役所前、セナド広場。

当時の建物や路面のモザイク模様が美しい。
 


テレビ

何処かのテレビ局が撮影をしていた。

キャスターはスーツを着こんで暑そう。
 


教会

あちこちにある教会の一つ。

自由に入れる、信者もいる現役の教会でしょう。
 


聖パウロ

聖パウロ教会のファサード(前面外壁)これぞマカオの最大の観光スポット。

ここに埋葬されている日本のキリシタンも多数名前が残されている。

建物は火災で焼け落ちて前面外壁だけが残っている。

 
 

食事
聖パウロのファサード近くで食べた昼食。
10セペタぐらいだったと記憶している。多分日本円で140円程度
しかし中国本土から見るとかなり高い、しかも茶碗の縁が欠けている
味は悪くなかった。
 

大砲
マカオ博物館の回りは要塞になっていて当時の大砲が展示してある

 

リスボア

ホテルリスボア、カジノ王が建てた金ぴか奇抜なホテル。
写真は建築中だが現在は完成していて珠海からもよく見える。
 

道祖神

どんな神様か知らないが街にはこのような神さまがあちこちに
祭ってある。信心深いのだ。
 

トンネル

このような建築物は古いヨーロッパの街で見かけるようだが
これは中国独自かあるいは折衷かも知れない
 

干物

こんなに道に広げたら中国では盗まれてしまうだろ
見張り人もいないようだ。ネコなどもいないのか。
 

切符

帰りのフェリーの切符を購入¥12 となっているが12元の意味
中国でも¥のマークは使用している
 

フェリー

対岸の中国から小型のフェリーが来るのが見える。
5分程度で到着、それに乗って中国へ帰国する
 
 
最近は日本---マカオ直行便も開設され、カジノはラスベガスを凌ぐ勢いだそうです。 香港--マカオの高速フェリーが約1時間、ヘリコプターで香港-マカオを往復する便もあり、香港の豪華なホテルに泊まりヘリコプターでマカオのカジノに通う金持ちもいるとか(まさか白新の同窓生にはいないですよね)。確か北朝鮮の何某もマカオの銀行と関係がありましたね。
 
私は古いヨーロッパの街並みと中国が入り混じる不思議な世界、そして日本の歴史と大きなかかわりを持つマカオが好きです。
 

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