第二びわこ学園ねんど展

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白新同窓会通信(平成14年8月21日配信)より

6月の同窓会通信で「ねんど展」のご紹介をいたしました。その活動に興味をもちましたので、13期生で「びわこ学園」の支援センター長をされている遠藤六朗さんに、重い障害をもちながら懸命に生きようと努力する方々と、それをサポートする人々の話を寄稿してくださるよう、お願いしました。

以前女子中学生が書いた文章に感激した事があります。「うちのお兄ちゃんは障害があります。しかし
とっても優しいのです。お兄ちゃんがいるおかげで家族全員が優しくなり、皆で元気に暮らしています。
お兄ちゃんは家の宝です」確かこんな内容でした。遠藤さんがご紹介している「この子らを世の光に」と
同じ主旨に思えます。

人間の命とは何か、生きる事とは何かを問いかけてくるような、内容です。どうぞ、ご覧ください。感想が
ございましたら、同窓会監事宛にお寄せください。まとめて遠藤さんに、お届けいたします。

<近江の重症児(者)福祉に関わって>

第13期6組 遠藤 六朗
(昭和36年卒業)

6月下旬に新潟で開催しました、第二びわこ学園のねんど展(にゃにゅにょ 新潟絵屋展)にはたく
さんの方々にみていただき感謝しています。また、新潟日報にも記事が掲載され、私にとって懐かしく、
また面映い気持ちでいっぱいです。残念ながら、私は新しい事業をたちあげる準備もあり、新潟に帰る
ことはできませんでした。終わった後に、展覧会のアンケートや寄せ書き、芳名録をみせていただき、熱いものがこみ上げてきました。

今回、白新中学の同窓関係の会誌に、ねんど作品のことや私の仕事のことを書かせていただくことになり
ました。私は障害者福祉、とりわけ重症児(者)福祉に関わってきましたので、そのことについて書きた
いと思います。なお、びわこ学園は滋賀県にある重症児施設で、第一びわこ学園と第二びわこ学園の2施設を経営しています。
 
私のびわこ学園での仕事は心理職でした。大学では発達心理学・教育心理学を専攻してきました。
言葉ではないコトバによるコミュニケーション、音声、表情や手の表出、行動の意味など、重症児(者)の内的世界を発達臨床的に明らかにし、療育活動への手がかりを提供する仕事と発達研究でした。

◎新潟県とびわこ学園
私が昭和43年に初めて第二びわこ学園に来たとき、新潟県の子どもが、この滋賀県の施設に多数入所していることにびっくりしたものです。びわこ学園の創設者は戦後の障害者福祉を切り開かれた
糸賀一雄先生ですが、新潟県の障害児福祉の同士とも親交があり、また時の新潟県の塚田知事も
滋賀県に来て、びわこ学園を見学していることが糸賀先生の書かれたものにでています。それが縁で、
新潟県の子どもをびわこ 学園が預かることになったものと思います。そのようなことからびわこ学園と新潟と
は浅からぬ関係がありました。私自身は複雑な思いでありました。また、入所者のなかの一人の住所
に、私が高校まで過ごした「白山浦」の隣の町名をみて驚きました。私が住んでいたこんな近くの方が、
遠く離れた滋賀県に来ていたんだと。そして、何人かはびわこ学園で亡くなっています。

障害者福祉も充実してきており、すでに皆さんは新潟に帰ってそれぞれの生活をおくっています。新潟か
ら遠く離れざるをえなかった家族の気持ちは、文字通り筆舌につくし難いものがあったと思います。今回の
ねんど展にも幾人かの家族の方がきてくれたそうです。

◎ 糸賀一雄先生と『この子らを世の光に』
びわこ学園は日本で2番目にできた重症児施設で、昭和38年に創設されました。創設者の糸賀
先生は昭和21年に知的障害児施設、滋賀県立近江学園を創設し、そこから成人施設づくりへ、
そして、重度障害へ目が向けられ、多くの施設をつくりました。びわこ学園はその最後の施設となりました。糸賀先生が書かれた「福祉の思想」(NHKブックス)に詳しく書かれています。社会福祉事業思想家としての糸賀先生の不朽の名著です。

糸賀先生は昭和43年9月に、福祉施設新人研修の講義中、『この子らを世の光に』の真意を述べようとしたそのときに、心臓発作で倒れられ劇的な最期を迎えられました。「この子らを世の光に」は、
「この子らに世の光を」ではなく、「に」と「を」の変換を通して価値観の転換を訴えられたのです。この子らは、恵みや施しを与えられる存在ではない、自ら生命を輝かせている存在だ、それにもっと磨きをかけ
輝かそうではないか、そして、社会効用論的にみれば役に立たないとみえるこの子らは、自らの生命を
輝かせ「自己実現」という生産をしているではないか、これが共感を呼び覚まし、このことによって社会を目覚めさているのである、これが生産でなくして何であろうか・・・、と。

◎重症児(者)の地域福祉に向けて
びわこ学園の私のもうひとつの仕事として、就職して以来、近くの保健所や市町村の乳幼児健診にも心理職として参加してきました。障害の早期発見・療育も大事な仕事でした。びわこ学園初代園長の岡崎英彦先生は小児科医ですが、糸賀先生の教えを継がれ、地域社会に開かれた施設づくりを目指していましたから、意欲的に取り組むことができました。このなかで、滋賀県の乳幼児健診と障害の早期発見・療育システムづくりにも参加しました。このときに診た子どもたちが養護学校を卒業し、青年となって、私が今関わっている重症児(者)通園に通ってきています。
 
昭和54年の養護学校義務制、昭和56年の国際障害者年の「完全参加と平等」、それに続く、昭和58年からの国連障害者の10年、今年が最終年度となるアジア太平洋障害者の10年、
などは日本の障害者福祉を根底から変えていくものとなりました。日本の社会のなかでじょじょに、ノーマライゼーション(ふつうの生活を社会のなかで)、リハビリテーション(人間復権)、インクルージョン
(地域共生)の思想が根づきはじめてきています。
 
私は、平成に入ってから重症児(者)通園事業にも携わっています。これは昭和54年の養護学校義務制以降、卒業を迎えた障害の重い人たちの卒業後の進路として国が創設したものです。だから、青年・成人期にいる方々が家から通ってきています。

現在、私がみている通園は、滋賀県内で6ヶ所、70名の方々が通っています。中には、人工呼吸器をつけた人、気管切開を施されエアウエイを装着している人、経管栄養(鼻腔や増設した胃瘻からチューブを通して栄養を入れるなど)、吸引や排痰、導尿など、いわゆる医療ケアを必要としている多くの重症児(といっても18才以上です)が通ってきます。このような重症児(者)の地域生活を支援していくには、医療、保健、福祉の連携したサービスが必要です。障害者生活支援センター、訪問看護ステーションのサービスがなければ地域生活はできません。しかし、現状は十分ではありません。その仕組みをつくらなければならないのです。びわこ学園が今年度に、重症児(者)の地域福祉、地域生活支援づくりに向け、びわこ障害者支援センター組織を立ち上げました。私はその責任者を務めています。

障害の重い人たちが地域でくらすには、医療・保健・福祉の連携だけではなく、地域の人々の共同や支え合いが必要ですし、何よりも「優しさ」が必要です。逆に言えば、重症児(者)と言われる人は、地域の共同を求め、それを創るキーパーソンと言えるのではないでしょうか。糸賀先生が言われた、『この子らを世の光に』の意味はこのことを言うのではないかと思います。

◎障害の重い人たちと粘土
第二びわこ学園の山側に粘土室があります。そこにいくまでに、ねんど作品が草むらや道脇などに無造作に置かれ、粘土室に行く人を迎えてくれます。部屋に入れば、ねんど作品が幾段にも積み上げられ、
沈黙していた作品が語りかけてくる不思議な空間です。
 
粘土は不思議な素材です。固さもドロドロにもなりますし、また、かたちも変幻自在です。こころがおもむくままに、手が(時には足が)動くままに、かたちをかえすがたを顕わします。それは創ったもののすべてだと言えます。ある人はそれを「いのち」と言い、また、無心に遊んだ跡形であるとして、「遊戯(ゆげ)」とも言う人もいます。「いのち」であれ、「遊戯」であれ、作品との対話から言葉が生まれたのです。障害の重い人たちは言葉がない方が多いです。だから、優しさと共感がなければ対話は生まれません。対話した分だけ、言葉が紡ぎだされてくるのです。ねんど作品は、私たちに「優しさ」と共感を再生し呼び覚ましてくれているように思います。言
葉は、言葉以前のものに出会わなかったらほんとうの言葉にはならないと思います。

◎重症児(者)福祉が投げかけるもの
数年前になりますが、ある知事が重症児施設を見学した感想として、「この子らは意識があるのか、
人格と呼べるのか」と言ったような話しをしたそうです。理性や言語がなければ人間とはいえないのでしょうか。当時かなり議論になったものです。しかし、そのような強者の理性中心、言語中心は破綻してきてはいないでしょうか。また、戦後の競争社会のなかで、自立を求めながらいつの間にか「孤立」を生み出しているのではないでしょうか。そのような反省が生まれています。

ほんとうの強さというものは、優しさや弱さをくぐりぬけてこそ強くなるものであり、また、支え合いの体験を通さないとほんとうの自立はありえないと思います。

このような社会のなかで、「理性」や「言語」から遠く離れた、また「自立」からもほど遠いと思われている、重症児(者)の存在が問いかける大きさを私は思っています。私はそれを発信続けていきたいと思っています。

私は新潟地震の後に、新潟を離れました。新潟もすっかり変わってしまい、帰ってもかってが分かりません。けれども、新潟の海をいつも思い出します。小学校から中学の頃、すでに地盤沈下と海浜の侵食が始まっていましたが、それでも砂浜は広々としていました。

夏の新潟の海の思い出。砂浜がずーっと続き波打ち際まで熱くて大変だったこと、町内会の夏休み早起き会で地引網を曳いたこと、握り飯に獲れたての魚を入れた味噌汁がうまかったこと、海辺の喧騒を遠く聞きながら、夏休みの宿題の海浜の植物採集をしたこと、佐渡の山並みに落ちていく夕日がきれいだったこと・・・。

久しぶりに新潟を思う機会となりました。ありがとうございました。

◎「ねんど展」
開催日 平成14年6月22日から6月30日
場所   新潟絵屋にて 新潟市並木町

 

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